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中庸

中庸

引き続き、『もてる人』について考えたい。これまでは、もてない人という視点から観てみた。
もてる人ということであるが、アリストテレスは親友を作るヒントとして、中庸であることを指摘している(もてない人に親友はいない)。

そして、「中庸」「過剰」「不足」という3つの視点で比較検討をしている。
誠実であることを中庸とすれば、過剰なものは、自慢や自己主張といったものになる。逆に不足していれば、卑下や消極的といったものになる。
恥を知ることを中庸とすれば、過剰なものは、恥知らずになる。不足であれば、恥ずかしがりということになる。
勇敢であることを中庸とすれば、過剰なものは無謀となり、不足は臆病ということになる。

この中庸(メソテース)であるが倫理学においては、徳の一つと定義されている。アリストテレスは人間の言動や感情において、超過と不足を調整するものを『徳』としている。
論語の中にも中庸は出てくる。「中庸の徳たるや、それ至れるかな」とある。また、孔子は、この過不足なく偏りのない徳を習得している者はほとんどいないとも指摘している。それだけ高度な概念だということだ。

中庸と、曖昧あるいは適当といったものとを混同してはいけない。多様な視点を有しそれらを許容する幅と深さがあるということだ。一言で言えば、知見があるということではないか。